鑑賞済みの方は、ネタバレありの解説記事もご覧ください。
「湯を沸かすほどの熱い愛」はどんな映画?
家族経営の銭湯は現在休業中。休業の理由は、店主が「湯気のごとく」蒸発してしまったため。母娘の二人暮らしだが、母は辛さを感じさせないような明るさで、学校での人間関係に悩む娘を励まし暮らしています。でもそんな中、母は急に体調を崩してしまいます。検査結果はがん。それも全身に転移していて、余命はわずか2カ月。彼女は何を残すのか。
テーマは普遍的かつ深いものであるにもかかわらず、起こる出来事はわかりやすく、とても平易な文法で描かれている映画です。あらゆる描写に過不足がなく、というか、過剰さも削ぎ落としも必然的に行われていて、不必要な引っかかりがありません。それぞれの役者のシンプルな魅力が存分に発揮されています。そして、鑑賞後の心にはきっと大きな何かを残してくれます。ラストシーンの衝撃も含めて。
監督は『チチを撮りに』(2013)などの中野量太。商業作品は初監督です。主演は『たそがれ清兵衛』(2002)『紙の月』(2014)などの宮沢りえ。彼女の娘に『トイレのピエタ』(2015)『愛を積むひと』(2015)などの杉咲花。夫に『アカルイミライ』(2003)『ゆれる』(2006)などのオダギリジョー。他に『共喰い』(2013)などの篠原ゆき子、『島々清しゃ』(2017)などの伊東蒼ら。
「湯を沸かすほどの熱い愛」あらすじ
北関東あたりの小さな町の銭湯「幸の湯」は現在休業中。経営するのは幸野家という一家だが、お父ちゃんの一浩(オダギリジョー)が1年前に突然蒸発してしまったため、お母ちゃんの双葉(宮沢りえ)と高校生の安澄(杉咲花)の二人暮らし。お母ちゃんはパン屋のパートで家計を支えている。一方安澄は、学校でいじめっ子の標的になってしまっていて、学校に行くのが憂鬱で苦痛で仕方ない。
ある日お母ちゃんは、パート中に突然意識を失い倒れてしまう。検査結果はあろうことか末期がん。医師が告げたのは余命2カ月という無情な現実だった。でも、ほんの短い時間だけ絶望に暮れたお母ちゃんは、すぐに普段の明るく元気なお母ちゃんに戻る。「私にはまだ、やらなきゃいけないことがある」。
まずお母ちゃんは探偵(駿河太郎)を雇い、お父ちゃんを探し出して連れ戻す。そして銭湯を再開させる。いじめに悩む安澄の背中を押し、自分の力で乗り越えさせる。安澄だけではなく、お父ちゃんが一緒に連れ帰ってきた鮎子(伊東蒼)のことも我が子のように面倒を見る。お父ちゃんも知らなかったが、この子はかつて他の女との間に出来ていた子どもらしい。
でもそれだけではない。幸野家にはまだ安澄も知らない重大な事実があって、お母ちゃんはそれをしっかりと安澄に伝えなければならないのだ。
鑑賞前のポイント
突然ですが、「泣ける映画」という言葉が私は大嫌いです。映画(に限らずですが)を観て泣くというのは、「思わず涙が溢れてしまう」というものでしょう。泣く気マンマンで映画を観て、「超泣けたねー」といってスッキリ、というのはどうだろう。お仕着せの情緒的ストーリーに安直な共感、そういうのを感動と呼べるのでしょうか。「この映画はヒューマンドラマだ」とか「ホラーだ」とか、その程度のジャンルに対する心の準備をしておくのはいいにしても、映画館に「泣きに行く」というのは何か違う。同じように感じておられる方も多いのではないでしょうか。
しかしこの映画に関してはもう、映画で泣きたい皆様も、「泣ける映画」と思って泣く気マンマンで鑑賞してもらって結構、と思います。そんな方が期待するような予定調和の「お涙頂戴」などはるかに超越したところから、ガツンとやられますから。親子について、生きることと死ぬことについて、そして愛について。ちっとも小難しくなく、それでいて深く深く入り込んでくる物語です。多くの方におすすめできる傑作。予備知識はちっともいりません。予備のハンカチはいるかもしれません。
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